こんにちは!
私がなぜ、人に関わる仕事をするようになったのか?
そこに至るまでにはいろんな寄り道があります。この項ですぐにそのわけが出てきませんが、就職前後のことを書いていきます。
学生までは、というより社会人になっても人見知りの強い、まわりからはネガティブにみられていたと思います。あまり自己表現がうまくなかった、ということになるでしょう。ただ、気持ちは”人と同じことはしたくない”がありました。
学生の頃だったかよく覚えていませんが、街で”警察官か何かお堅い仕事”をしているような印象を持たれていたように思います。その時に、自己イメージとは全く違う印象を持たれていたことにびっくりしたことがあります。でも他人はそのように感じている・・と。
私は職業訓練指導員を養成する国内では唯一の大学校に入学しました。今から45年以上前の話です。
これは当時授業料が大変安かったこと、しかも奨学金がもらえたこと、今思えば信じられないことですが、当時1か月の奨学金で半年分の授業料が賄えたように記憶しています。
卒研では小型モータと制御回路の研究をしていました。卒業後は
当時の小型モータの大手に就職しエンジニアとしてスタートしました。
同期のほとんどが大学校の本来の目的である職業訓練指導員となって全国に飛び立っていきましたが、私の場合はその枠がなかったというのもありますが、あえて民間に飛び込みました。
しかも過去就職実績のない企業に飛び込んでいきました。その企業からすれば採用実績のない大学の学生が応募してきたものですから、いろいろ判断に困ったものと思われます。
なぜかといえば、一般面接のあと私だけが一人呼び出され、常務との対面の特別な時間をとっていただけました。
今思えば大変ラッキィーなことでしたが、その時はなぜ俺だけが・・と不審に思ったものです。その常務から、今でも覚えていますが北方四島について質問されました。うろ覚えではっきりと回答できなかったので、採用はないな・・と思いながら帰宅しました。
そんな採用時の経験をしましたが、予想に反して入社が許可されました。
当時私を含め10人ちょっとの新卒が採用されましたが、周りはみな所謂有名国立私立大学の出身でした。でもなぜかその空気にのまれることはなかったと思います。メンタルが強いわけでもないのに。
・・・女性の話がでてこない
堅い話ばかりで、女性・・彼女の話が出てきません。
ワクワクしたことはたくさんありましたが、悲しいことに長く続いたことがなかったのです。あまりその方面の学びができなかったということですかね。ーー続きはまたーー
今日の一言:ヨットが風を切って前進できるのは、強い向かい風の時!
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『モノづくり技術+マーケティングを背景に持つ唯一の技術ライター』の富田正昭です。
ファーム・アイ代表、FAIS中小企業支援センター登録専門家、コピーライター等、「ものづくり」と「ことばづくり」の専門家として活動しています。→詳細はこちら